フィリピンのパートナーはアメリカと日本

日本とフィリピンの貿易

フィリピンは太平洋戦争の激戦地でした。戦没者の遺骨収集は、戦後70年が経過した今でも継続されています。バターン半島の「死の行進」では、日本軍による捕虜を移送する過程で、多くのフィリピン人とアメリカ人が亡くなりました。

慰霊祭として「バターン・デー」としてフィリピンの祝日(4月9日)になっています。

マッカーサーが「I shall return」と言ったのは、彼が育ったフィリピンから配送したときのことだったと言われています。フィリピン人は日本に占領されながらも、米軍と協力しゲリラ戦を仕掛けて、日本から独立を勝ち取ったことを誇りに思っています。

第二次世界大戦ごに改めて旧宗主国から独立を勝ち取った国々とは異なり、フィリピンは1991年のピナツボ火山の噴火で破壊されるまで、クラークやスービックに米軍基地を置いていました。

フィリピンのスービック

ベトナム戦争の際は米軍の重要な拠点となり、米国とは非常に密接な関係を保っています。フィリピン人と話していても、アメリカに対しては特別な感情を抱いているのがひしひしと伝わってきます。

あの厳しい戦争を体験した人たちも少なくなりました。米軍基地だったスービックは工業団地になり、日本企業を初めとして、世界各国からの企業の進出が目立ちます。今では日本が米国のパートナーだと自認しています。

戦後はアジアの優等生とフィリピンは言われていましたから、アジア開発銀行の本店を東京からマニラに奪い取ったフィリピンからすれば、日本と米国のあまりにも親密な関係には複雑な思いがあるでしょう。

フィリピンの最大貿易相手国は日本

日本からしてもフィリピンは日本の戦後復興を鉄鉱石や木材の供給から支えた資源国です。現在は中東からの原油輸送上のシーレーン防衛上、不可欠な拠点です。

日米関係の米国を除いたとしても、日本からすればフィリピンは国家戦略上ににおいて、非常に重要な国です。日本からフィリピンへの援助資金は、累計で2兆6千億円を超えています。

フィリピンからすれば世界最大の援助国が日本であり、民間貿易の観点から見ても、対外直接投資でも、日本は最大の相手国です。

日本とフィリピンの貿易

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